3. マル査が来た日 (指導あり)
マル査が来た日
朝八時ちょうどに玄関のピンポンが鳴った。まだ寝ていたかったので知らぬ顔の半兵衛を決め込んだが、相手はベルをしつこく鳴らし、大声で私の名前を呼んでいる。マンションの騒音にすぐ文句を言う隣室の夫婦が気になった。仕方なくドア越しに誰ですかと訊ねると、
「国税局査察部の者です。開けて下さい」
何のことやらわからない。防犯レンズを覗くとスーツ姿の男が三人もいる。私はチェーンキーをしたまま、身分証の提示を求めた。一番前にいた若い男が首からぶら下げた名札をかざしたので、よく見ようとドアの隙間から手を伸ばすと、いきなり後ろの四十くらいの男に「やめろ、早く開けろ」と怒鳴られてしまった。
彼らはさっさとダイニングまで上がり込んで来た。脱税容疑で証拠品を押収するとのこと。
「貴方は誰と住んでいますか」
と言う。当時私は三十三歳、独身で彼女もいなかった。正直に、
「誰もいません」
と答えると、彼らは遠慮なく寝室にまで侵入してきた。四十男が電話を貸して欲しいと言う。どうぞと言うと、背中を向けてどこかに電話をかけた。
「四番確保しました、大丈夫です」
なに、四番というのは俺のことかい。
そのあと彼らは家じゅうを荒らしまわった。若い男はベッドの下に隠しておいた風俗雑誌まで全部めくって見た。これも捜査の一環だと言うのだろうが悪趣味である。眼鏡を掛けた秀才顔の三十くらいの男は、ずっと私の勉強机を占拠していた。四十男はゴキブリのように台所を這い廻り、ゴミ箱まで漁って、紙切れを見つけると一々広げて確認していた。
私は居場所がなく次第に退屈してきた。ようやく着替えても良いとお許しが出たので、洗面所で髪を整えていると、寝室から素っ頓狂な声が聞こえた。
「何だ、どうした」
皆が駆け付けると、若い男が指先から血を垂らしながら、押し入れの布団の奥に何かありますと言っている。慎重に布団を取りのけると、そこには以前沖縄で買った軍用ナイフが鞘走って鋭く光っていた。うっぷっぷ。私は笑いを噛み殺しながら、怪我人に絆創膏を渡してやった。
十一時半ごろ電話が鳴った。私の家なのに、当然のように四十男が受話器を取った。
「上からの指示で庁舎に移動します。一緒に来てくれますか」
一応お伺いの形を取ってはいるが、断れる雰囲気ではない。眼鏡男が近づいて来て、ワープロのフロッピーを全部預からせてほしいと言う。私が承知すると彼は微笑んで言った。
「池田さんは、沢山小説を書いているんですね。なかなか上手でしたよ」
これには参った。一番見られたくない物を見られてしまったのだ。そうだった、十年前から書き始めていた時代小説群がフロッピーに納めてあったんだっけ。書いている時は高揚して世紀の名作だと思い、しばらくすると恥ずかしくなって消してしまいたくなった。まだ誰にも見せたことがない私だけの傑作集である。最初の読者がマル査の役人とは……。情けなくて鼻の奥がツーンと痛くなった。
国税局の車に乗せられるのかと思っていたら移動は地下鉄だった。大手町で下車して合同庁舎まで歩いた。取調室は鰻の寝床のように狭くて細長い。奥の方と出入口近くの二箇所に事務机が置かれていて、横歩きをしなければ通れない。逃げにくくしてあるのだろう。奥の机の壁を背に四十男が座り、その前に私。出入口脇には眼鏡が座った。
狭い空間に男が三人もいるので息苦しい。壁の腰くらいの高さの所に無数の靴痕がついていたが、あれはどういう意味なのか、今でも謎である。傘付き電気スタンドが置いてあって、まるで刑事ドラマのようだ。私がそれを指摘すると眼鏡男が、
「確かに警察の取調室と似ていますね。我々も調書を取られることがありますが、同じような部屋に通されます」
おっと、それはどういうことかい。ますます好奇心が湧いてきて理由を訊ねた。
「今日のように家宅捜索をしますと、時々拳銃や麻薬を発見する事があるんです。そうすると我々は第一発見者であり、通報者ということになりますので、参考人として警察で調べられるというわけです」
こともなげに答える眼鏡の奥の眼は笑っていなかった。恐ろしや、優しそうな顔をしていてもマル査はやはり刑事と同類だ。うっかり油断していると私は岩窟王にされてしまうかも知れぬ。
警察と同じようなものだったら昼食はカツ丼かと思ったらホカ弁で、おごってくれるのかと思ったら五百八十円取られた。
午後から本格的な取り調べが始まったが、本当に何も知らないので、質問されても何一つロクに答えられない。私の質問にも一切答えてくれない。延々とかみ合わない問答が続いた後、夜になってからようやく解放された。
私はその足で会社に向かった。会社は韓国企業の訪日研修団の受け入れを専門にやっている企画会社だ。都心の高級マンションを事務所に転用していて、韓国人の社長とその相棒だった私以下、十名ほどが働いていた。ところがドアを開けると、中はすっからかんのモデルルーム状態になっていた。二十人以上のマル査が来て、根こそぎ持っていったとのこと。それでも応接室で車座になり、談笑しながら待っていてくれた部下達を、私は心から頼もしく思い感謝した。
私はそれきり二度と呼ばれなかったが、社長は連日深夜に帰ってきて、朝早くに出頭する生活がしばらく続いた。彼は憔悴していたが、天地神明に誓ってやましいことはしていないと言い続けていた。
事情を知った人達が大勢味方に付いてくれて、社長が不在でも社員達の士気は高揚した。私は過労で飯が食えなくなり、ビールとアイスクリームだけで命をつないだが、気が張って一日も休まなかった。
結局マル査の調査は、起訴もされずにたった三カ月で終わった。申告は一部修正したが、追徴金も罰金も無かった。まさに大山鳴動して鼠一匹。顧問弁護士と会計士は、これは国税局の見込み違い、実質的には全面勝利ですよと言ってくれた。
四カ月目に押収されたものが全部戻ってきた。すでに色々なものを購入して補填してあったので、事務所がいっぺんに狭くなってしまった。私の大事なフロッピーも戻ってきたが、なぜか小説の続きを書く気持ちはすっかり失せてしまっていた。
執筆時期|2012年
作品の舞台|韓日マンパワー
媒体露出|随筆春秋第38号掲載
佐藤愛子先生の指導
この作品にはちょっとびっくりしたわね。池田さんにはこういう経験があったのね。でもこれは軽妙なユーモアエッセイにしたかったみたいだけれども、見事な失敗作よね。全然面白くなかったですよ、これ。
そもそもあなた、どうして国税局査察部に捕まったの?
【池田からの事情説明、内容は省略】
なるほど……そしたらそれを書かないとダメじゃないの。読者もそこを知りたいわよ。読者が知りたいことを、もろもろの事情があって読者に隠さなければならないのに、そのことをわざわざ題材にして文学作品に書くというのは、たいへん難しいことで普通は無理ですよ。
この作品がヘタだというのはね。緊張感がないの、緊迫感が伝わってこないのよ。そして話のスピードものろいの。
まず朝っぱらからいきなりマル査が乗り込んできたわけでしょう? それであなたが「なぜですか?どうしてですか?」と聞いても何一つ答えてくれない。もっとあなたの感じたものすごい不安が、ビシビシ伝わってこなければおかしいでしょう。そこが書ききれていないんですよ。
四十男、若い男、三十男、マルサの3人をこんなふうに区別して呼んでいるけれど、格好悪いわね。こんなの作品として野暮ったいわ。もっと人の特徴を捉えた別の書き方があるでしょうに。それから「四番確保しました」のあと「なに、四番というのは俺のことかい」って、なんですこれ?
これユーモラスに書いたつもり? そもそもこの場面でユーモラスに描く必要がどこにあるの? ダメねえ、こういうの。
それから「うぷっぷっぷ」なにこれ。あなた笑っている場合じゃないでしょ。そんなに心に余裕があったの? なかったんじゃないの? マル査に踏み込まれて、もっとアタフタしていたんじゃないの? もしもその瞬間だけおかしくって笑ったとしても、それを書く場面じゃないんですよ、ここは。
事実として池田さんの心にそんな一瞬があったとしても、作品としては書くべきじゃない、緊迫感を読者に訴える邪魔になるんですよ。もう……。
唯一面白かったのは「警察と同じようなものだったら昼飯はカツ丼かと思ったらホカ弁で、おごってくれるのかと思ったら580円取られた」というくだり、ついうふふと笑ったわよね。これ本当なの? そう……。こういうのは面白い、でもね、この直前までハラハラドキドキさせて、緊迫感を盛り上げておいて、それで580円取られた!とくるとアハハ!となるけれど、緊迫感はないしダラダラしてるしで、面白さも半減しているんですよ。
この話はテーマが大き過ぎるから、10枚以下の随筆作品にはなり得ないのよ。もっと30枚から50枚原稿用紙を使って小説仕立てにしなさい。
エッセイには不向きです。エッセイは題材を選ぶこと。それが肝心よ。
今日はあなたが来るというから、講評してあげようと思って私は3回繰り返して読んだけれど、全然面白さが伝わってこなかった。だから今日は講評する自信がないんです。ごめんなさい、私にはこの作品はわからなかった。気の利いた講評もできないわ。
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