5. ミレニアム婚 (指導あり)
ミレニアム婚
晴れてはいたが、ひどく寒い大晦日の夜。
私は妻となるべき人の住む町に彼女を迎えに行った。
トレンチコートのポケットには前日ようやく買えた婚約指輪が入っていて、歩くたびにがさごそと包装紙が音を立てた。
彼女は銀行員で女子寮に住んでいる。寮の門限は午後十時、逆に外泊する場合は十時前に門を出なければならない。二人は今日これからの行動のためにぎりぎりの時間に門の前で待ち合わせをしたのだ。
大きな鞄を抱えて彼女が出てきた。
私は「今晩は」と挨拶してから、
「今日はありがとう」
と付け足した。
交際して二年以上も経っていて、もうすぐ夫婦になるというのに、どうも堅苦しい言葉しか浮かんでこない。自分の気の利かなさ、センスのなさに我ながら呆れたが、それをよくわかってくれている彼女の方が、
「こちらこそ有難うございます」
とまるで職場の部下のように気を使って受け答えしてくれたので、ひとまず安心した。
まだ少し時間を潰さなければならなかったので、駅前で少し酒を飲んだ。身体が暖まり、気持ちもほぐれてお互いの家族親戚の消息を話し合った。あと三十分で午前零時という時間になって、私達は店を出て思い出の場所に移動した。
実はその建物で行われた地域の会合で二人は初めて出会ったのだ。
そこはビル風が吹いていて寒かった。
私達は建物の壁に身を寄せるようにして立った。
私は彼女の肩に軽く手を置いて、
「僕と結婚して下さい」
と言った。彼女は笑顔で頷いてくれた。
私はポケットから包みを出した。中から指輪を取り出そうとしたが、包装が厳重なうえに指がかじかんで、なかなか取りだせない。
昨日は宝石店の店員が幾重にも包装してくれているのをみて、さすがに値段に見合った丁寧な扱いだと悦に入っていたものだが、開ける段になるとかえって邪魔になった。
『しまった。俺って格好悪いな。あらかじめ指輪を出しておいて、すぐはめられるように準備しておけばよかった』
しかし後悔先に立たず。
ようやくダイヤモンドの婚約指輪をはめてあげて、急いで地下鉄に乗った。行先は板橋区役所である。
間もなく日付が変わると西暦二千年一月一日。
この日に婚姻届を出したいという人達のために板橋区では戸籍係の窓口を特別に開けてくれるのである。
すでに正面玄関前は大勢のカップルとその付き添いの若者たちでごった返していた。皆てんでに盛り上がっていて、わいわいがやがやと騒々しい。見た感じでは十代にしか見えないカップルも結構いて、髪の毛も服装も赤白金銀と色とりどり。まるで南洋の花園のように派手に咲き乱れる群衆の中で、スーツ姿の私達はひどく浮き上がった存在だった。
約束通り窓口が午前零時きっかりに開いた。
皆でどっと役所の建物の中になだれ込んだら、さすがミレニアムイベントだけあって、職員が総出で出迎えてくれた。取材に来ていたマスコミも四方八方にものすごい数。これだけカメラを向けられたら、やんちゃな若者達もさすがに緊張して静かになった。
皆をホールに立たせたまま、板橋区長の長々とした挨拶。
続いて婚姻届の受付が始まったが、書類の不備な人がいたり、係に色々質問する人がいたりと、どの窓口も大混雑だ。
せっかくだからミレニアムに婚姻届を出そうと言い出したのは私である。しかし想像していたムーディーなイベントとは違って、まるで遊園地の雑踏の中にいるようだった。
「ごめんね、大丈夫かい」
と気遣う私の言葉も再び始まった喧騒にかき消されて、彼女には聞こえなかった。やっと自分達の婚姻届を受理して貰って、帰りに記念品を受け取った。何をくれたのかと袋を開けてみたら、区長の名入りの小さな結婚証明書と時計台の写真を貼り付けた台紙がポツンと入っているだけ。
「こりゃ記念品というより粗品だね」
私は冗談のつもりで言ったが、実際冗談に聞こえない程のお粗末さ。
二人はすっかりくたびれ果てていた。
この先妻は新居が決まるまでの間、私の住んでいる1DKのマンションに同居する。女子寮は独身寮だから、結婚したらもう戻れない。これから妻は寮監さんの立ち会いのもと、引越し荷物をまとめるために入れるだけ。
私が「結婚できる時にしておかないと」と、色々準備不足のまま突っ走ったので、妻には最初から本当に迷惑を掛けている。
せめてロマンチックなミレニアムを迎えようと今日の計画を立てたのだが、これまた失敗!彼女を疲れさせただけで不発に終わってしまった。夫婦になって初めての日、そして西暦二千年代のスタートの日、私は妻に何十回という謝罪の言葉を繰り返すはめになった。
夜が明けて元旦の早朝、私は妹からの電話で叩き起こされた。
「お兄ちゃん、おめでとう。新聞に出てるよ」
読売新聞東京版のミレニアム特集記事※で、
『年明けと同時に婚姻届を出すカップル』
と見出しが付いた写真が出ていると言う。
私は大急ぎで最寄りの駅の売店に走った。
新聞を買って目を凝らすと、確かに二人が写っている。妻になった人も驚いて、そして恥ずかしがりながらもとても喜んでくれた。
大新聞の発信力のすごさ。その日、私達夫婦の携帯電話には家族親戚や友人知人からのお祝いメールがひっきりなしに届いた。
私は余りにも嬉しかったので、同じ新聞を十五部も買い集めてきた。夜、あらためて妹に電話して最初に記事を見つけてくれた礼を言った。
熱心なクリスチャンである妹は、
「千年に一度の日に、神様に祝福されたね」
と言ってくれた。
私達はクリスチャンではなかったが、その言葉には心から感謝した。
こうして私たち夫婦は、この先の長い人生の“忘れられない第一歩”を踏み出したのである。
執筆時期|2013年
作品の舞台|個人的なこと
媒体露出|随筆春秋第39号掲載
佐藤愛子先生の指導
これはもう自分だけわかっていて、読者をまるっきり置いていってる作品ね。どこもかしこも突っ込みどころ満載だわね。
まず「妻となるべき人」と書いてあるけれども、良くない書き方ね。
なんで「妻となるべき人」になったのか、そこがわからない。そもそもあなたが結婚相手に選ばれた理由もわからない。書けてないんですよ。
私はいいですよ、実物の池田さんを知っているから。あなたのその真面目さも、こういうところが好きになる人もいるだろうなとわかるわけですよ。でも読者にはわからないわけですよ。この2人は何だろうと思うわけ、なぜミレニアム結婚なのかと思うわけ、そういった疑問が全然氷解しないままで話が進んでいくのよ。
つまりこのエッセイは、あなたが自分だけわかっていて、そんなの当たり前でしょうみたいなことで読者にわからせる努力もしないで、一人で前に前にとどんどん進んで行って、それでいつの間にか話が終わっているという、ちょっと文学とは言えないようなものになってしまっているわね、。
私は彼女の肩に軽く手を置いて、僕と結婚して下さいと言ったって、こんなわざとらしい儀式、なんでやったの? それで、まあ、やってしまったことは仕方がないとしても、なんでこんなこと書くの? 読者も面白い!なんて思うはずがなくて、あーあ……と思うだけでしょう。こんなところがまだまだね。
そのあとの板橋区役所のくだりから新聞に出ていたところまで、ずっとこれは「何がどうなったか」という顛末を説明しているだけなのね。あなたにとっては全てが初体験で興味深いことばかりでしょうし、いきなり新聞に出たというのも「びっくりした!」という感覚でしょうけれど、人間長く生きていると、これに類することはいくらも経験するわけで、こういうエピソードを読んだから「私も感動した!」とはならないんですよ。
この作品で「いいなぁ」という所は少ないのだけれど、たとえば夫婦になって初めての日、私は妻に何十回という謝罪の言葉を繰り返すはめになったというところ、これが生真面目な池田さんらしいなあ、池田さんならこんな感じだろうなという人となりが、よく描けているわねえ。こういうことをもっとたくさん書きなさいな。
半面疑問に思うのはね、妹さんの「千年に一度の日に、神様に祝福されたね」というところ、とっても作為的なのね。こんなセリフ、本当に妹さんが言ったの? そう、本当に言ったのであれば社交辞令だわね。 それでこのあと付け足しのように「私たち夫婦と妊娠4カ月の新しい命は」とあって、「あれっ?」と思うのよね。これは要するに結婚した時には奥さんは妊娠していたということでしょうけれど、それがどういう状況だったのか、何にも書かれていないのよ。
だから読者は何の判断材料も与えられないまま、ただミレニアム結婚に至った事情を想像するしかなくて、本当に作者の独りよがりな作品で終わっているわけ。文学というものは誰のためにあるのかと言えば、読者のためにあるのね。作品を書いたあとで読者がどう読み取ってくれるだろうか、どんな感情を抱くだろうか、それを客観的に考えるのが一番大切なことなんですよ。
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