9. ノーマンの活躍(指導あり)

ノーマンの活躍


二十年前、私は横浜の中堅商社の社員教育を複数年契約で担当していた。その商社では、二代目社長による経営の近代化が推進されていた。社長は四十代半ばの働き盛り。手足となった三十代の若手管理職連中とともに、怖いもの知らずの拡大戦略を採っていた。

隠居した先代社長の番頭たちは、次々と閑職に追いやられるか、退職させられていたが、唯一人、社長にも如何ともしがたい頑固オヤジが残っていた。取締役経理部長の横山氏である。金庫番一筋、勤続三十年。禿頭で牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡を掛け、顔の輪郭は将棋の駒そっくり。お洒落気は全くなく、ずっと独身。まるで帳簿と結婚したような石部金吉であった。

彼は会社の御意見番を自任しており、社長の新方針に悉く異を唱えた。誰に対しても遠慮がなく、私も外部の講師なのに、頭ごなしに叱られたことが何度かあった。その腹いせもあって、我々は時勢に従わぬ彼のことを、イエスマンの逆の意味で、ノーマンと陰で呼んでいた。

ゴールデンウィークのこと。

丹沢大山のほうのキャンプ場で、バーベキュー大会をすることになり、社長以下、ほぼ全社員が参加した。私もついでに付いて行った。あいにく雨模様であったが、キャンプ場は満員だった。

バーベキューをする場所には、幸い屋根だけはあった。長方形の大きな鉄板も貸し出してくれた。かまどは土の上に、コンクリートブロックを置いた簡単なもの。長細い箱状のかまどの両端から薪をくべて、上に置いた鉄板を熱する仕組みだ。

若い連中は火の扱いを知らず、かまどの前では腰が引けていた。それに反してオジサン達は、少年の頃に薪風呂や薪ストーブの経験があるし、なぜか押し並べて火遊びが好きである。自然と年長の幹部ばかりでかまどを囲んで、黙々と働いた。若手はその後方で、酒や食材の準備をしながら、喋ったり歌ったりして楽しく盛り上がっていた。

隣のかまどは全く面識のない別の会社の人達が使っていたが、年輩者がいなかった。苦労して火を焚こうとしていたが、うまく行かない。そのうち雨足が強まって、横手からかまどに降り掛かった。彼らは煙に濛々といぶされて、大騒ぎしていた。

すると社員の一人が業を煮やし、小さな缶に入った油のようなものを降り掛けた。ぱっと大きな炎が上がり、周囲が驚いて声を上げた。

ガソリンだ。

彼は面白がって、今度はそれっと掛け声を掛け、缶ごと火の中に投げ込んだ。直後、轟音とともに缶が破裂。しゃがんでいた私の、目の前の空気がぐらりと揺らいだ。

隣のかまどは火炎放射器のように、前後の焚き付け口から、轟然と炎を噴き出した。

ちょうどそこにいた若いご婦人の、腰から上が燃え上がった。

燃えながらご婦人は、自分の脇にいた幼い子供を夫の方に突き飛ばした。夫は子供を抱えると、さっとかまどから離れた。

悲鳴と怒声が渦巻く中、火柱と化した婦人はよろよろと後ずさった。ダウンジャケットが燃え、髪の毛が燃え、手の甲にも燃え移り、ヒーッ、ヒーッと引きつるような悲鳴を上げて、苦しみもだえていた。

その時、彼女にぱっと飛び掛かった人影が二つ。社長とノーマンだった。社長はとっさに、燃えている彼女の身体を掌で叩いて、消火しようとした。パンパンパンパン、パンと音がして炎が宙に舞った。

ノーマンは落ち着いていた。バッとジャンパーを脱いで、頭から彼女に被せたのだ。遅れじと、もう一人こちらから飛びついた者がいる。

社長の右腕を務める若手本部長。彼は抱きかかえるようにして、自分のジャケットを彼女の胴に巻きつけた。

全てはスローモーションで、映画を見ていたよう。私の身体が動いたのは、やっとそこから。彼女に纏わりついた火勢はすでに衰えていて、四番手の私には大して仕事が残っていなかった。仕方なく、

「大丈夫ですかっ?」

「救急車を呼べっ!」

と持ち前の大きな声を出した。

こっちの社員が一人、キャンプ場の管理事務所に走って行って急を知らせた。隣の会社の人は、見守るだけで、誰も動かなかった。

間もなく救急車が来た。怪我人は病院に運ばれ、隣はそそくさと後片付けをして全員帰って行った。

この一件は後から警察も来て、傷害事件の扱いとなった。ご婦人は重傷を負って、数カ月間入院した。最もひどく火傷したのは、皮膚ではなく、呼吸器官だったそうである。

炎を吸い込んだのだ。

細かい事は後日、被害者の御主人と、その会社の幹部が、横浜まで礼を言いに来てわかった。

「皆さんは、命の恩人です」

そう言って彼らは深々と頭を下げた。さらに半月後、地元の消防署が、消火活動への貢献という事で、会社を表彰してくれた。

私は大いに感心した。とっさの時に動いた人が、仕事の上でも責任感が強い順であったことに、大切な法則を発見したような気になった。

不本意ながら私は四番目だったが、

「ノーマンは、格好良かったじゃないか」

と素直に認める事ができた。

この事件があって、社員達は以前より一層、社長を中心に団結した。そして全く矛盾するが、ノーマンの反対意見にも一目置こうという、独特の空気が誕生したのである。頼もしいノーマンは、その後も長く現役を続けて活躍したことは、言うまでもない。


執筆時期|2015年

作品の舞台|経営コンサルタント

媒体露出|随筆春秋第43号掲載


佐藤愛子先生の指導


池田さんのこの作品はとても良いわね。文章も文体もテーマと合っています。ところどころに工夫もあって、今回は、うん、非の打ち所がないわね。

あなた、何か会得したのではないの? 作品が良い時はね、私は言うことがないんですよ。これでこの作品の講評を終えてもいいんです。まあ、他の人たちもいるわけだしね、勉強のためにちょっといくつか話しておきましょうかね。

ガソリンだ。その男は面白がって、それっと掛け声を掛け、缶ごと火の中に投げ込んだ。ここは良いわね、よく書けているわ。そのあと、私の目の前の空気がぐらりと揺らいだ、というところ、ここはわかりにくいんです。

目の前の空気がぐらりと揺らいだというのは、どういうことなの?

どんな感じを言うの? ちょっと読者に伝わりにくいかも知れないわね。

それで、炎に巻かれたお母さんが幼子を夫の方に突き飛ばしたというところ、ここはそうでしょうね、母親としてはそうするしかない、よく書けていますね。池田さん、よく見ていました。

このあとスピーディーに話が進んで、作品を締めくくるところで、私は大いに感心したという一文、ここの変わり身の良さに私は感心しました。ぱっと視点が切り替わって、作品の切れ味が良くしています。

まあね、この作品読み返してみたらね、あなたってこんな一大事に、実際は何にもしてないのね。あなた自身は「大丈夫ですかっ?」「救急車を呼べっ!」て大声を出したって、結局それだけだったのね、うふふふ。


指導の時期|2015年頃



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池田 元

一般社団法人随筆春秋 代表理事 故郷の 愛媛県松山市。手前は 松山城の天守。城は 市内を一望する場所に建つ。祖母方の先祖は代々その松山藩の剣術指南役を務めた。元禄時代には赤穂浪士、堀部安兵衛と不破数右衛門の介錯人を拝命した。その先祖が 荒川十太夫。池田の筆名 荒川十太はこれに由来する。池田はその10代目子孫である。

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