◆. 佐藤愛子先生|表彰式でのお話(ものを書くというのは厄介な仕事です)

第17回随筆春秋賞 於:東京四谷 主婦会館(2012年5月)

佐藤愛子先生|表彰式でのお話


◆物を書くというのは厄介な仕事

ものを書くというのは厄介な仕事です。書きたいとか書かかなきゃならないという、書く動機は人それぞれなのですが、大体プロのもの書きはへんてこな人が多いんです。

最近は変じゃない、まともな人も作家になるようになりましたが、残念なことに常識的な人は小説が面白くないですね。むかし、自分の若い頃は作家というと皆おかしな人ばかりでした。

友人でいえば川上宗薫も遠藤周作もじゅうぶん奇人変人でした。そういう自分も奇人変人の仲間の1人だったのかと思いますけれども……。もっとも、最近は友人が皆、鬼籍に入ってしまって、私もひとりぼっちになってしまいましたが……。

今回の受賞作をはじめ随筆春秋の作品を全部読んでみました。皆たくみに書かれていて、中には舌を巻くような良い作品もありました。作家は日常の生活が、書くということとつながっていることが大切です。しかも人間を描くということができていないといけません。人間を描こうとするときに、相手の気持ちを慮っていては、本質を鋭くえぐることはできません。

ともかく私から見たら真実はこれだと信じることを書ききることです。

皆さんによくよく申しておきたいのは、真実なら悪口であっても、悪口と受け取られないということです。相手から「私にとっての真実はこうだ」と言われても、それに影響されることなく、自分の感じたことを率直に書くことです。そうすれば相手もわかってくれます。とはいえ、やはり相手を本気で怒らせてしまってもねえ、フフフ……。

ともかく作家は恥をかくことが大切です。大いに恥をかき、それに耐えられる精神がなければ、プロの作家になるのは諦めたほうがいいですね。

人前で恥をかく、人に迷惑をかける、それが小説というものです。

むかし私が「愛子」という作品を上梓したとき、室生犀星という作家に贈呈いたしました。父と兄の知人でしたが私自身は面識のない方でした。その方から、ものを書くと言うのは親を切り、兄弟姉妹を切り、友を切り自分を切るということです、と書いた葉書を貰いました。そういうことなのです。

本質的にものを書くというのは、他人の思惑など知ったことじゃないということで、やっかいな仕事です。もしも憎まれたり呆れられたりしても、仕方がないと思って書けば、周囲も「この人はそういう人だから」と慣れてくるものです。

私の家族は無頼の集まりでしたので、協調という要素は美徳ではありませんでした。父も兄もそれは大変な人たちでしたから……。皆さんも周囲を気にし過ぎず、おのれの書きたい人間を書くことに専念してください。


◆説明と描写の違いについて

それから話が長くなりますが、説明と描写の違いについて触れておきます。

最近は新聞や雑誌の記者といった文章をなりわいとしている人でも、それがわかっていない人がおり、残念に思っています。最近もある婦人雑誌の記者が「東日本大震災に関連して、復興をテーマにした特集を組みたいので、佐藤先生には、終戦直後の様子を教えていただきたい」とインタビューにやってきました。そこで私は以下のような話をしました。

終戦直後と言いましてもね。日本中どこもかしこも焼け野原でしょ。

食糧難で配給もろくになく、男の人が闇市で外食するわけですよ。少し前まで敵として戦ってきた進駐軍の台所から、残飯の捨てるやつをガーッとかき集めてきて、大鍋に入れて味付けは塩をぶち込んだだけの食事を売っていましてね。栄養スープと称して一杯10円でした。残飯ですからエビのしっぽは入っている、ガムの噛んだカスは入っている。まぁそれは良い方でね。ときには金属のスプーンやフォークがそのまま入っているわけですよ。

文句なんか言えませんわね、元々残飯を漁ってきたんですから。

それをお金出して買って食べて、栄養をつけて、そうやって戦後の復興をしてきたわけですよ。働き盛りの男の人たちがね……。

ところが届いた雑誌の記事には、このように書かれていたんです。

作家、佐藤愛子が語る戦後復興。

終戦直後、闇市で栄養スープなるものが売られていた。進駐軍の給食の残飯を集めて煮込んだもので、価格は1杯10円だった。残飯ゆえに中には海老の尻尾やガム、スプーンやフォークまで混入していることもあったという。そんなものまで食べて、人々は戦後の復興に尽くしたという。

皆さん聞き手としてどうです? 全然違いますでしょう。私、こんなことは言っていない。私は記者に乞われて戦後の風景を描写して伝えたんです。ところが向こうは字数制限の関係か、何々があった、何々があったと説明しているんです。説明じゃ真実を伝えられないんです。作家としてものを書いているとそれがわかるんです。

どんな思いで日本人が戦後興に取り組んだのか、書くということが思いにつながっていないといけないんです。物事の本質を伝えるには、描写するということにこだわらなければいけないんです。書いていくことで、人間というものの本質に近づきたい、私がものを書く理由はそこにあるんです。


池田 元

一般社団法人随筆春秋 代表理事 故郷の 愛媛県松山市。手前は 松山城の天守。城は 市内を一望する場所に建つ。祖母方の先祖は代々その松山藩の剣術指南役を務めた。元禄時代には赤穂浪士、堀部安兵衛と不破数右衛門の介錯人を拝命した。その先祖が 荒川十太夫。池田の筆名 荒川十太はこれに由来する。池田はその10代目子孫である。

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