篠原省三(筆名:田畑麦彦)|篠原家系図

田畑麦彦と長女。妻である佐藤愛子先生が『ソクラテスの妻』で

芥川賞候補となったころ =1963年(朝日新聞デジタルより)



◆篠原国治

 1853年 誕生

  父:

  母:

  妻:西尾ぶん(岐阜、西尾善右衛門の長女)

    養子:鈴木三千郎【篠原三千郎】(岐阜、鈴木銭次郎の二男)

◆鈴木三千郎【篠原三千郎

 1886年 誕生

 服部時計店取締役

 服部貿易社長

 1934年 東京横浜電鉄取締役

 1936年 東京横浜電鉄常務

 1936年 東京横浜電鉄専務

 東京光学機械社長

 1944年 東京急行電鉄社長(-1945年)

<東急と五島慶太と篠原三千郎>
東京急行電鉄は、五島慶太が創業者である。その五島慶太と篠原三千郎は、ともに東京帝国大学(法学専攻)を明治44年に卒業。お互いに実業家としてもリスペクトし合う盟友だった。五島はその強引な手腕から巷では「強盗慶太」と呼ばれていた。あの三越を買収しようとして失敗したこともあったほどである。五島は、もともとは鉄道官僚で、昭和19年、運輸通産大臣就任に伴い、東京急行電鉄社長を辞任。その間、篠原三千郎が社長を務めた。篠原の在任期間は1年だった。

 1944年 相模鉄道社長(-1945年)

 1944年 東海道乗合自動車社長(-1944年)

 1953年 死去

  父:鈴木銭次郎

  母:

  養父:篠原国治

  養母:

  妻:服部せい(貴族院議員 服部金太郎の五女

<服部金太郎>
服部金太郎は、服部時計店(現セイコーホールディングス)の創業者である。「世界のセイコー」の礎を築き、「日本の時計王」とも呼ばれる。

    長女:篠原静子

    二女:篠原逸子

  妻:松尾ナツ(北海道、松尾留太郎の二女、★本郷嘉之助)

    長男:篠原進

    二男:篠原省三(筆名:田畑麦彦←(CLICK!)Wikipediaへ

    三女:篠原桂子(学習院大学助教授 渥美昭夫の妻)

  

◆篠原進

 1927年 誕生

  父:鈴木三千郎【篠原三千郎】

  母:松尾ナツ(北海道、松尾留太郎の二女、★本郷嘉之助)

篠原省三(筆名:田畑麦彦←(CLICK!)Wikipediaへ

 1928年 誕生

  父:鈴木三千郎【篠原三千郎】

  母:松尾ナツ(北海道、松尾留太郎の二女、★本郷嘉之助)


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 人事興信録 5版

 人事興信録 6版

 人事興信録 8版

 人事興信録 13版

 現代物故者事典



【上記家系図に関して】

閨閥学(https://keibatsugaku.com/shinohara/)より転載した。それにこちらで加筆をした。加筆した部分は引用記号のある部分である。合計2箇所。



【説明】

田畑麦彦(本名:篠原省三)は、篠原三千郎と後添えの松尾ナツとの間にできた子である。

松尾ナツは、松尾留太郎の二女である。留太郎は北海道札幌市の名士であったらしい。

人事興信録には、妻として、服部せいの名前はなく、松尾ナツだけが掲載されている。

服部せいは、ふたりの子を残したが、若くして病没した。

人事興信録は、人事興信所が、明治35年(1902)年から平成21年(2009)年まで刊行を続けた人物情報誌である。

ちなみに平成17年(2005)には「個人情報保護法」が施行されている。

人事興信所は、現在の帝国データバンクの前身ではない。

興信所とは、そもそも紳士録をつくる組織(後に会社組織)である。

篠原三千郎と五島慶太は、東京帝国大学時代(法学専攻)からの盟友である。ふたりとも明治44年の卒業。五島は篠原より4歳年上であった。というのも五島は29歳で東大を卒業している。

いうまでもなく五島慶太が東京急行電鉄の創業者である。五島慶太は、最初は鉄道官僚だった。1944年(昭和19年)の運輸通信大臣就任に伴い、東京急行電鉄社長を辞任。

その間、篠原三千郎が東急の社長を務めることになった。篠原の在任期間は1年であった。





2023.02.16

事務局 正倉一文


池田 元

一般社団法人随筆春秋 代表理事 故郷の 愛媛県松山市。手前は 松山城の天守。城は 市内を一望する場所に建つ。祖母方の先祖は代々その松山藩の剣術指南役を務めた。元禄時代には赤穂浪士、堀部安兵衛と不破数右衛門の介錯人を拝命した。その先祖が 荒川十太夫。池田の筆名 荒川十太はこれに由来する。池田はその10代目子孫である。

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