10. 息子の成長(指導あり)

息子の成長


息子は中学1年生である。2月生まれなのにクラスメイトよりも身長が高い。手足が長くスマートだが、筋肉はしっかりとついている。顔立ちは純和風で、お地蔵さんによく似ている。

実際、いつもお地蔵さんのようにニコニコと笑っている。人と争うのは苦手で、喧嘩はもちろんのこと、相撲やレスリングも嫌いである。ドッチボールでは、人に球をぶつけることができないので、いつも枠の外に待機させられている。サッカーでも息子のところにボールが転がっていくと、味方側が絶望のため息を漏らす。せっかくボールをキープしても、敵が近づくとさっさと逃げてしまうからだ。

こんな子なので同級生のみならず、下級生にまで侮られている。

小学校3年生の頃、授業参観のあとで私と一緒に帰宅したことがある。自転車を押して歩いていた私は徐々に遅れてしまった。すると下級生の男の子が息子に近づいてきて、

「オサム君、これぶどうだよ。おいしいよ、食べてごらん」

と声をかけた。見るとその子は洋種ヤマゴボウの実を差し出している。洋種ヤマゴボウは繁殖力の強い外来種の雑草で、果実はブルーベリーに似ている。しかし食べると下痢を起こす毒の実なのだ。

「ぶどう?」

息子はうれしそうにそれを手に取った。私はすぐに近づいて

「だめだよ、食べさせたら。ぶどうじゃないでしょ。こんなもの」

と息子の手から取り上げた。下級生は平気な顔をして、

「僕知っているよ。これはね、ぶどうじゃなくて布を染めたりする実なんだよ。オジサンの白いシャツにぶつけると、紫の色が取れなくなるんだよ。おじさんにぶつけようかな」

と言う。私はその子を睨みつけ、

「ぶつけたら承知しないぞ」

ドスの利いた声で釘を刺した。これにはさすがの悪戯坊主もひるんで逃げ出した。

うちの息子には知的障害がある。肉体は健康だが、知能が5歳程度しかない。そのため自宅からかなり離れた学校の発達支援級に通っている。小学校では支援学級の子供たちも通常級の子供たちと平等に交流させるので、この下級生も息子のことを知っていた。だからわざと意地悪をしたのだ。私が妻を通して学校に訴えたので、先生と親から謝罪があった。いじめた下級生も直接息子に謝罪したが、当の本人は、

「はい、いいですよ」

ニコニコ笑って許したそうである。わが子ながら不憫なものだと私は思った。

争いが嫌いな息子は、運動会の短距離走でもいつもビリであった。ところが体格が良いせいで、1人で走らせてみると結構早い。4年生のときには、ゴール直前まで2番手に付けていた。しかし、後で転倒した選手を気遣って立ち止まってしまい、結局着順を落としてしまった。どうして人に勝とうとしないのか。私は非常に悔しく思い、翌年は息子の闘志に火をつけるため、鼻先に人参を吊るした。

「もしオサムが1着を取ったら、どれもでも好きなゲームソフトを買ってあげるよ」

喜んで興奮した息子は必死の形相で走ったが、力みすぎて失速し、ビリに終わった。運営係に誘導されて、トラックの真ん中に座らされたあと、

「ごめんなさい。お父さん。ぼくビリになっちゃってごめんなさい」

彼は私のほうを向いて大声で何度も叫んだ。私は余計なことをした自責の念に駆られて、顔があげられなかった。

昨秋、息子にとって小学校最後になる運動会があった。ところが私は消防団の任務が入って応援に行けなくなってしまった。しかしそれほど残念にも思わなかった。どうせビリになる短距離走を見に行っても仕方がない。騎馬戦でも馬の後ろ足しかやらせてもらえないし、ダンスも隅っこの方で独りボンボンを振るだけだ。しょせん障害児は邪魔者扱いなのだ。息子がどうだったかは、後でビデオを見れば十分である。そう考えて運動会が終わる時刻にあと片付けだけを手伝いに行った。すると、娘が私を見つけて駆け寄ってきた。

「お父さん、オサムが1着をゲットしたよ!」

妻がビデオカメラ私に渡しながら言った。

「スタートではで遅れていたんだけれどね。途中からぐんぐん追い上げたのよ」

「ゴールテープを切るとき、オサムはぐぃって胸をそらしたんだよ」

娘が誇らしげに言う。妻は、

「お姉ちゃんは感激して涙ぐんでいたよね」

と教えてくれた。妻と娘の大興奮が私にも伝わった。巻き戻す時間ももどかしく、私は息子の短距離走をビデオで見た。レースには何のハプニングもなかった。息子はただひたすら懸命に走って、堂々とトップでゴールを駆け抜けていた。

「ぼくはウサイン・ボルト選手の真似をして走ったんだ」

当の本人は淡々と私に報告した。

閑散とした運動場の片隅で、私はふいに溢れた涙を慌てて拳でぬぐった。


※ 作品中の日時は掲載当時のまま、かな遣いも掲載時のままです。

第42号掲載作品 2014年秋号「息子の成長」


佐藤愛子先生の指導

はい、いま読み上げて貰いましたけれど、なかなか良い作品ですね。障がいのあるお子さんを育てるのは、ご苦労の多いことでしょう。作者の気持ちがよく書けています。

ただこれね、終わり方が良くないですよ。

「閑散とした運動場の片隅で、私はふいに溢れた涙を慌てて拳でぬぐった」とあるけれども何で泣いているの。わざとらしい。そんな泣くもんじゃないでしょ池田さんは。あなたそんなに泣き虫? 違うでしょ。

ここの部分は、あなたがエッセイを締めくくろうとして書いた作為でしょ。こういうのは私の好みではないわね。

その少し前まで家族は息子さんの1等で盛り上がっているんです。ところが本人は笑顔も見せない。普通は息子も大喜びの風体を見せるはずなのに、そうでないところが、たとえば「親としては哀れで、不意に涙があふれた」というなら少しわかりますよ。でもそうは書いていない。

素人のエッセイでよく見かけることですが、自分で体裁よく作品をまとめようとして、月並みな言葉や借りてきた言葉を並べたり、嘘を書いたりしてしまう、こういうのは作品を台無しにしてしまうんです。



◆◆◆

池田元のエッセイTOPページへ

池田 元

一般社団法人随筆春秋 代表理事 故郷の 愛媛県松山市。手前は 松山城の天守。城は 市内を一望する場所に建つ。祖母方の先祖は代々その松山藩の剣術指南役を務めた。元禄時代には赤穂浪士、堀部安兵衛と不破数右衛門の介錯人を拝命した。その先祖が 荒川十太夫。池田の筆名 荒川十太はこれに由来する。池田はその10代目子孫である。

0コメント

  • 1000 / 1000