11. 運命の赤い糸(指導あり)


運命の赤い糸


娘は今年で15歳になった。幼いころの素直さは影を潜めてしまい、私が、

「お父さんとお母さんは西暦二千年ちょうどの元旦に婚姻届を出したんだよ。読売新聞のミレニアム特集に2人の写真も出たよ」

と自慢でも始めようものなら、

「もうその話を耳にタコができたよ」

と、にべもない調子で話を遮るようになった。先日ついに娘から、

「私は6月生まれなんだから、要するにできちゃった結婚をしたわけでしょう」

と責めるような口調で言われてしまって、気まずくなった私は、まだ10部以上取ってあった読売新聞を、1部だけ残して処分してしまった。親から見ればまだまだ子供なのだが、いつの間にか心は大人びてきたようだ。

「ところでお父さんとお母さんは、この町で出会ったんだよね。亜紀ちゃんは誠お兄ちゃんと、一体どこで知り合ったのかな」

突然の質問に私は内心うろたえ、適当にごまかした。思春期で反抗期の娘にはまだ言いたくない事もあるのだ。

亜紀というのは妻、真弓の妹で、娘にとっては叔母にあたる。十八年前、地元のイベントで初めて彼女に会った時は、ファッションモデルかと思ったほど美しかった。私は傍に立つ津軽こけしみたいな顔の真弓に、

「妹さん、お綺麗ですねえ」

と間抜け面をしてしみじみ言ったそうだが、それは覚えていない。真弓は、

「あの台詞が、貴方が初めて私に直接しゃべった言葉だった」

といまだに意地悪を言う。決してそんな事はないと思うが、そのとき亜紀の美貌が衆目を集めていた事は確かに記憶している。

あいにく亜紀は私など眼中になかったし、こちらも高嶺の花だと思って話しかけることさえ遠慮した。それよりも真弓が仕事上の必要から、複数の資格受験に追われていることを聞くと、社員教育講師という職業柄、私は俄然彼女の勉強のほうに関心が湧いてきて、自ら家庭教師を買って出た。

真由美には3年以上も交際している誠という彼氏がいたし、生真面目な女性でもあった

ので、私とは単なる師弟関係だった。ところがそのうち勉強会の後で食事をしたり、映画を観たりするようになった。私の心の中で真弓は少しずつ気になる存在になって行った。

資格試験の合格を祝う晩餐で、真弓が誠からの干渉がとかく厳しすぎるとの悩みを打ち明けてきた。私は酔った勢いで、

「そんなに嫌だったら、いっそのこと、彼と別れて、僕と交際しないか」

と言ってしまった。瓢箪から駒というべきか、それがきっかけで本当に交際が始まり、私

たちは結婚を意識するようになった。

突然真弓から振られることになって誠は驚愕したが、彼女の気持ちが既に自分にはないとわかると

「俺は苦しいけれど、真弓の幸せのために、池田さんとの未来を心から祝福するよ」

と言って潔く身を引いてくれた。むしろ妹の亜紀の方が、

「せっかく素敵なお兄ちゃんができたと思って喜んでいたのに、どうして別れちゃうの。お姉ちゃんより8つも年上で、車の免許も持ってない池田さんなんか、どこが良いのよ」

と、わざと私の目の前で真弓に抗議した。さらに私は真弓の両親にも気に入られ出ず、誠と比較されてずいぶん結婚に反対されたが、妊娠という既成事実まで作って説得しした結果、

「もう反対することに疲れました。2人とも大人なのだから、したいようにしなさい」

とようやく許しを得たのであった。

私たちの結婚後まもなく、亜紀が勤務先のアパレルメーカーをリストラされてしまった。本人に非があったわけではなく、会社が不景気に負けて倒産の危機に瀕したためだ。社宅にいた亜紀は住まいをなくして、わが家の居候となった。

亜紀は相変わらず近所の評判になるほど美人であったが、私は結婚に反対されたときに苦手意識を植え付けられてしまったために、彼女を異性として意識することはなかった。しかも何かと言えば、亜紀は誠を家に呼んで、赤ん坊だった娘を囲んで行動共にしたがった。私は呼び出しに応じる誠の神経を疑ったが、彼から出産祝いの品々をもらって無邪気に喜んでいる妻にも違和感を持った。しかしそんなことを口に出すと、器の小さい男だと軽蔑されそうな気がしてじっと辛抱した。

亜紀には男友達が大勢いたし、誠も職場の同僚と同棲を始めた。亜紀と誠は男女の関係というより仲の良い兄妹のようだった。

そんな我々に転機が訪れたのは娘が5歳の時である。

私が会社を辞め、自宅の一角を事務所にして独立創業することになった。研修先に出かける以外はずっと家の中で仕事することになり、収入も不安定になった。それを見た亜紀は居候を続けづらくなったのか、

「私、誠お兄ちゃんと一緒に暮らすよ」

と言って出て行った。聞けば最近彼は職場の彼女と別れ、知らぬ間に亜紀と急接近していたのだという。私は正直言って複雑な気持ちであった。真弓のほうは誠と連絡を取り、

「私がとやかく言える義理ではないけれども、亜紀は適齢期なんだから、一緒に暮らす以上はちゃんと形も考えてやってちょうだい」

と申し入れた。こうして2人は正式に入籍したのである。

この世には男女を結ぶ運命の赤い糸というものがあるのだそうだが、どこがどんなふうに絡んでいるのか、凡人には見えないらしい。私たちの身の上に起きたことも、今となっては、赤い糸の仕業としか言いようがないのだが、こうした人生の機微がわかるようになるまで、娘には内緒にしておくつもりである。


※ 作品中の日時は掲載当時のまま、かな遣いも掲載時のままです。

第44号掲載作品 2015年秋号「運命の赤い糸」                


佐藤愛子先生の指導

今号を読んでいて思ったのは全体的に低調よね。エッセイにおいては「人を書く」ということをなにより真剣に追及していかなければならなのに、そこの肝心な所が抜けてしまっています。特に池田さんの作品の出来が悪かった。ひどいです。今回はエッセイの悪い例ということで厳しく言わせてもらいます。

まず「運命の赤い糸」というタイトルからしてダメだわね。その理由はあとで言います。

次に、私は酔った勢いで「そんなに嫌だったら、いっそのこと、彼と別れて、僕と交際しないか」と言ってしまった。瓢箪から駒というべきか、それがきっかけで本当に交際が始まり、私たちは結婚を意識するようになった、の「瓢箪から駒」というのがいただけない。

ここは交際の理由を説明しているんだけれど、ちゃんとした説明になっていないんです。瓢箪から駒という陳腐な言葉では何も説明できていない。本来できごとを説明だけで済ますことさえ文学では避けるべきなのに、その説明でさえ成立していないんですよ。瓢箪から駒、なんて誤魔化しの言葉です。

次に真弓から別れを告げられた誠が「潔く身を引いてくれた」って、ずいぶんあっさりした男よね。いったいどういう気でこんなにあっさりと別れてくれたんかしらん。どうしてなの? いや、池田さん「誠氏はそういう男らしいところがある人だ」なんて、読者は納得できませんよ。誠はどういう気持ちだったんかしら。あなた疑問に思わないの?

だいたい前にも言ったと思うけど、奥さんはなんであなたと結婚したんですか?

わかった? ああ、直接奥さんに聞いてみたの。それで? そんな昔のことは忘れたと言われたって、なんですかそれは……。

ともかく読者の目線でみたら、謎だらけのことが書いてあるわね。納得できない、ぜんぜん話として奥行きのない、ただ、あったことの表面的な事実だけが書いてあるのね。

さらに私は真弓の両親にも気に入られ出ず、誠と比較されてずいぶん結婚に反対されたが、妊娠という既成事実まで作って説得した結果、というところの「妊娠という既成事実まで作って説得した結果」というのは何なの? 交際中に妊娠したのは偶然であって、別にあなた方の深い計画に基づいてできたわけじゃないでしょう? それを奥さんの両親の反対を説得するために、計画的に妊娠させたように書いていて、おかしいじゃない。事実とは違う。これが「いい加減なことを書くな、読者をなめるな」ということなんですよ。

亜紀は相変わらず近所の評判になるほど美人であったが、私は結婚に反対されたときに苦手意識を植え付けられてしまったために、彼女を異性として意識することはなかった。

これ何のために書いてある文章なの? 結婚前に反対意見を言われたことがあったからって、苦手意識ってなんで持つの。それにその次の「彼女を異性として意識することはなかった」というのも、前後と何もつながらない、ここに書き入れてある意図が読めない文章なんです。 むしろ妻の美人の妹と一つ屋根の下で暮らしていて、思いっきり異性として意識していたんじゃないかと深読みできるほどだわね。

私は呼び出しに応じる誠の神経を疑ったが、彼から出産祝いの品々をもらって無邪気に喜んでいる妻にも違和感を持った。しかしそんなことを口に出すと、器の小さい男だと軽蔑されそうな気がしてじっと辛抱した。

ここの「器の小さい男だと軽蔑されそうな気がしてじっと辛抱した」という所だけ、池田さんの小心者のところがちょっと書けている部分ね。人間性が出ていていいです。

私が会社を辞め、自宅の一角を事務所にして独立創業することになった。研修先に出かける以外はずっと家の中で仕事することになり、収入も不安定になった。それを見た亜紀は居候を続けづらくなったのか「私、誠お兄ちゃんと一緒に暮らすよ」と言って出て行った。

の所、なんで貴方の独立創業で亜紀が居づらくなったのか、これもわからない。

本当にそうなの? 誠の側から強い働きかけがあったとか、亜紀があなたの家を出たい別の理由があったのか、全然わからないじゃない。ただ貴方の独立創業のことが書いてあるだけで、出て行った亜紀の気持ちが全然書けていないんです。私はあなたの仕事のことなんか、そんなに関係ないと思うけどね。亜紀に聞いてみたことある? 考えてみたことある? どっちもないんじゃあ、しょうがないじゃない。

この作品、最初から最後まで、読者としては謎だらけ。わけがわからない作品よね。

そして最後に、私たちの身の上に起きたことも、今となっては赤い糸の仕業としか言いようがないとあるけれども、何が赤い糸ですか。登場人物がそれぞれどんな思いで生きてきたか、ちっとも書けていなくて、赤い糸という言葉で簡単にやっつけてしまっている。中身のない許せない言葉ね。

それでまとめは、こうした人生の機微がわかるようになるまで、娘には内緒にしておくつもりである、だなんて、なにがこうした人生の機微ですか。人生の機微なんて考えてもいないのに、わかったようなことを書くなと、私はそう言いたいわけですよ。ともかくこの作品は作者が何を言いたかったのか、さっぱりわからない変な作品でしたね。


【事務局員全員の作品講評を終えたあとで】

皆さん、私ひとりがこんなにしゃべっているのに、静かですねえ。はあ、ふうと頷くばかりだったら、人形が並んでいるようで、まったく私の言ったことをわかってもらっているのかどうか……。わかったら「わかりました」、わからなければ「どういうことでしょう?」自分の考えと違っていたら「先生、お言葉ですが私はこう思います」と、反論してもいいから反応しなさい。こんなんじゃ、まるで闇夜に向けて石を投げているようじゃないですか。

もっと活発な、合評会のような感じでやらないといけませんよ。



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池田 元

一般社団法人随筆春秋 代表理事 故郷の 愛媛県松山市。手前は 松山城の天守。城は 市内を一望する場所に建つ。祖母方の先祖は代々その松山藩の剣術指南役を務めた。元禄時代には赤穂浪士、堀部安兵衛と不破数右衛門の介錯人を拝命した。その先祖が 荒川十太夫。池田の筆名 荒川十太はこれに由来する。池田はその10代目子孫である。

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