12. 嘘つき娘(指導あり)

嘘つき娘


娘の高校受験の時の話である。彼女は地元の平凡な区立中学に通っていたが、3年の夏休みも過ぎて、いよいよ志望校を確定させる時期になった。模試の平均偏差値は61点である。前々から行きたいと言っていた都立トップの西高の合格基準は74であった。

模試の合否判定はSが余裕で合格、Aなら安全圏内、Bが可能性6割、Cは4割でDは2割、Eがほとんど合格の見込みナシというランク付けで、娘はE判定であった。

学級担任は一所懸命、娘を翻意させようとしてくれた。妻も娘の身の丈にあった、もっと偏差値の低い高校を見学に行っては、そこの良い所を宣伝していた。しかし本人は周囲が何と言おうと志望校を変えようとしない。 

「絶対に推薦入試で一発合格してみせるよ」

と力んでみせるのであった。私は、

「そうか、そうか。よしよし、頑張れ」

と、物わかりの良い父親を演じて、嫌われないように立ち回った。それにしても、なぜそこまでこだわるのか。理由を娘に聞くと、

「私は将来産婦人科医になる。でもうちはお金持ちじゃないから、まず都立トップの西高に入学して、猛勉強をして上位50人に入り、それから国公立大学の医学部に入る」

と即答した。私は娘の決意の固さに脱帽したが、結局推薦入試には受からなかった。

私はこれでどうせ娘も諦めるものだと思っていた。偏差値61の子が74の高校を受験して合格するわけがない。仮に奇跡が起きて合格しても、周囲を優等生に囲まれて入学してから苦労するのは目に見えている。理想と現実は違うものだ。医師になれなくとも良い。私も学費が助かる。夢から覚めて実力にふさわしい学校に行って欲しかった。

ところが娘は引き続き一般受験でも西高を受けたいと言う。学級担任は進路相談で、

「西高受験は重荷だと思うから、希望は希望として、私立高校で頑張って授業料免除の特待生になるのも現実的な親孝行かもね」

と言い、妻は預金通帳を睨みながら、

「私は私立高通いの三年間を覚悟したわ」

とため息をついた。ここに来て私は、娘をただ甘やかし、おだててきた事を後悔した。遅まきながら娘に向かって、

「お父さんは西高受験には反対だよ。模試がE判定なのにそこに拘るのは、身のほど知らずというものだと思うよ。せめてB判定くらいの可能性がある事を示してくれなければ、みすみす都立高の受験枠をドブに捨ててしまうことになる。そんなこと許さないよ」

と強い口調で言った。娘の憮然とした表情を見て、妻が取りなした。

「年明けに受けた最後の模試の結果が戻って来ているはず。塾の先生に催促して貰っていらっしゃい。それを見て判断しましょう」

翌日の深夜、娘は塾から模試の結果を貰って帰ってきた。妻が、

「あら、成績が上っているわ」

と驚いた声を上げた。妻から手渡された模試を一瞥すると、点数がさほど上がったわけでもないのに、合否判定はBになっていた。

私は渋面を作って娘に言い聞かせた。

「これはね、いよいよ受験が始まって模試の受験者数が減ったから、その分アップしたに違いないよ。あてにはならない。お父さんはやはり実力相応の高校を受験して欲しい」

その言葉が終わらぬうちに、

「お父さんの嘘つき、B判定を取れば西高受験をさせてくれると言ったじゃないか」

という娘の抗議の声が響いた。

「もうお父さんとは絶対口をきかない」

そう言い捨てて彼女は階上の自分の部屋に駆けこんでしまった。妻は慌てふためき、

「まあまあ貴方、あの子も難しい年ごろなんだから、何も頭ごなしに……」

と言う。私の判断は客観的で正しく、娘のためにもなるはずだ。確かに最近の努力を認めてやらなかった事には不満があったかもしれないが、いきなり絶交宣言はないだろう。私はひどく衝撃を受け、それ以上娘の志望校を変えさせる気力を失った。

翌週、娘は西高を再受験した。そしてなんと合格したのである。

私への知らせは妻からメールで届いた。仕事から帰宅した時には既に日が暮れていたが、娘本人は中学校に寄ったあと、二つ通っていた塾にも順次合格の報告に行っていて、まだ帰宅していなかった。

その間に私は、妻の撮影したビデオを見た。合格掲示板の受験番号を追って画面が動き、ついに娘の番号を捉えたとき、映像が小刻みに震えて、

「あった、あった、あった、あった……」

と何度も繰り返す妻の声が入っていた。次に場面が転換して娘の顔が映った。娘は無言で掲示板を見上げて涙を流していた。

ビデオを見終わると妻は声を潜めて、

「実は合格がわかってから白状されたんだけどね。最後にB判定を取った模試、数字とアルファベットを切り貼りして、あの子が自分で偽造した物だったんだって。せっかく苦労して偽造したのに、お父さんは碌に見もしないで西高受験に反対したから、ずいぶん頭に来たそうよ。親としては呆れた話だけどね」

と私に告げたのである。 

私は娘が帰って来ないうちに、家じゅうを引っ掻き回して偽造模試の原本を探した。原本は引き出しの奥深くに隠してあった。気になる本当の成績は、やっぱりE判定だった。偽造模試を厳しくチェックすると、あちこちに切り貼りの痕跡を発見した。私は娘の向こう見ずさを知って改めて肝を冷やした。

しかし妻から、

「貴方、あの子を怒らないでね。親に嘘をつくようになったら、子供は自立した証拠よ」

と釘を刺されて、しぶしぶ騙された振りを続けることにした。なんともはやである。


※ 作品中の日時は掲載当時のまま、かな遣いも掲載時のままです。

第46号掲載作品 2016年秋号「嘘つき娘」


佐藤愛子先生の指導

この作品はあったことをそのまま書いて並べただけの作品ね。せっかく娘さんが面白いネタを提供してくれているのに、話の掘り下げ方を知らないのか、そのままになっていて、底が浅い作品になってしまっています。

たとえばね、「もうお父さんとは絶対口をきかない」、そう言い捨てて彼女は階上の自分の部屋に駆けこんでしまったのところ、こういうのは引っかかるのよ。ここでもっと詳しく書き込めば、読ませる話が一つ入れられたんじゃないかなと……。

これね、娘さんはどういう気持ちであなたに怒ったのか、あるいは怒ったふりをしてみせたのか。その時のあなたの気持ちはどうだったのか、その後二人はどうなったのか。もっと掘り下げて書いてみれば面白くなったんじゃない?

この娘さんからの絶交宣言の結末は、作品の中では書いていないのね。合格したあとも親子関係がどうなったかわからない。読者は想像するしかないけれども、そこは書いたほうが良かったのね。たとえば奥さんからインチキの種明かしを聞き、あなたが偽造模試を発見したあとで、当の本人は家に帰ってくるわけだけれども、その夜中の場面とかね。

どうすればエッセイはもっと面白くなるのかというところから、よく考えて、最初から全部書き直して御覧なさい。それで良い作品になったら、どこかの公募に出してもいいと思いますよ。



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池田 元

一般社団法人随筆春秋 代表理事 故郷の 愛媛県松山市。手前は 松山城の天守。城は 市内を一望する場所に建つ。祖母方の先祖は代々その松山藩の剣術指南役を務めた。元禄時代には赤穂浪士、堀部安兵衛と不破数右衛門の介錯人を拝命した。その先祖が 荒川十太夫。池田の筆名 荒川十太はこれに由来する。池田はその10代目子孫である。

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