18. 佐藤愛子先生の教え「事実を脚色する」(指導あり)
【前説|池田 元】
大切なご指導ですが、今回も講評ではなく、電話での指導です。
小説は、フィクションつまり虚構です。それに対してエッセイは、事実を書くものです。
ですが、その事実をどこまで忠実に描いたらいいのか、私には判断がつきませんでした。
そこでお手紙を書いて、佐藤愛子先生のご指導を仰ぎました。
ではどうぞ。今回も貴重なお話です。
代表の近藤健が佐藤愛子先生に初めてお会いした日
(※写真は、本編とは無関係です)
事実を脚色する
佐藤
「池田さんからのお手紙のことで電話しましたけれどね。伊奈さんの作品のこと。これはどういうことなの?」
池田
「はい。昨年末、佐藤先生に読んでいただき、高く評価していただきました伊奈次郎さんの作品ですが、先生のお言葉を私から伊奈さんに伝えましたところ、天にも昇る気持ちになったと大感激されまして、このお正月も家族親戚だけでなくご近所に自慢しておられたようなんです」
池田
「で、その作品は春の号に掲載しますので、初校ゲラがいまちょうど本人の手元にありまして、実は何カ所か手直しをしたいと……。内容を事実とは若干違うように変えて書きたいそうなんですが、なにしろ佐藤先生に見ていただいて、褒めていただいた作品ですから、お読みいただいたときと掲載されたときとで違うようになってしまっても、佐藤先生に失礼にならないかと私に聞いてきたわけです」
佐藤
「ふむ。どこをどうゆう風に変えたいというの?」
池田
「作者の友達、まあ君のお母さんのことなんですが、夫と息子を捨てて旅役者と駆け落ちしてまもなく、山の中で心中しているのが見つかったという箇所です。そこを削除したいということです」
佐藤
「ふん。どの辺に書いてあるのかしら。……ああ、ここね。作品のはじまりの方でまだ全然本筋に関係ないところじゃないですか」
池田
「はい。このあと伊奈さんとまあ君との思い出話が書いてあり、数年後にはまあ君とお父さんは、山津波で死んでしまうわけですけれども……一家全滅で可哀想な家族の話です。伊奈さんはその中の、お母さんの心中事件を伏せたいというのです」
佐藤
「ああ、そうですか……」
池田
「まあ君の家は父子家庭だから、このあとお父さんがお母さん代わりをしようとして、読者の感動を呼ぶ良い話になっているんですが、お母さんの死因は病死でいいし、生き別れだったことにしても構わないだろうと、伊奈さんがそう言いだしまして……」
佐藤
「今さらどうして?」
池田「この正月、田舎の親戚や友人たちに作品の話をしたとき、伊奈さんがエッセイを書くようになったことに対してまず驚かれたそうなんですが、作品の題材がまあ君の思い出話であることを知ると、よくもまあ、そんな昔話を掘り起こしたなと……今さらそんなことを公にしなくてもいいじゃないかという顔をされたのだそうです」
佐藤
「伊奈さんがまわりからそう言われたの?」
池田
「いえ、はっきり言われてはないそうですが、そういうような顔をされたということです。作中のまあ君というのは仮名で、時と場所も明確には書いていないのですが、伊奈さんが住んでいる村ではまだその可哀想な一家の話を覚えている人が何人もいて、わざわざ全国に読者がいるような雑誌に掲載して村の恥をさらすようなことをしてどうするんだと」
佐藤
「言われたの?」
池田
「いえ、そういう批判がましい顔で見られたというのです。もう六十年以上も前の話で、まあ君も家族も静かに墓の中で眠っているのを、いきなり無理やり起こされたようだと……」
佐藤
「…………」
池田
「伊奈さんからの質問に、しかし勝手に手を加えたら、手を加える前の作品で褒めて下さった佐藤先生に対して失礼にあたるのではないでしょうかとありましたので、私のほうでは判断をしかねまして、お手紙で質問させていただいたような次第です」
佐藤
「あのねえ、ノンフィクション文学っていうのがあるでしょう? 事実を新聞記事のように正確に書く……あれであれば作者が勝手に嘘を書いたり想像で補ったりしてはいけないんです。でもねえ、これはエッセイですよ? エッセイの目的というのはね、人間を書くことなの。作者はねえ、人間の内面をえぐり出してみせて読者に感じさせるという、それこそが大事なんですよ」
佐藤
「自分が発見して描き出した真の人間というものを、世間に読ませて感動させる、読者がああ、人間というものは何とも……と、泣いたり笑ったり腹を立てたりする、それこそが文学なんですよ。エッセイは短い枚数で事実を基に書く、これが骨法なんですけれど新聞記事じゃないんですから、こだわり過ぎたら却ってダメになるんです。細かいことは省略することもあるし、嘘にならない範囲で、わかりやすく書き換えることもあるんです」
佐藤
「読者がわかるかどうか、読者にちゃんと伝わるかどうか、一番強く伝えたいことが一番強く書けているかどうかを、作者は一生懸命考え抜かなければならないんであって、細かい枝葉のことにとらわれたらダメなんですよ」
佐藤
「だから何ですか、お母さんが心中したか生き別れか、そんなことはどっちだっていいわけだし、書き直したあとにその部分がよくわかるようになって、読者の心にすっと入ってきたのであれば、むしろ作品が良くなったわねと、私はそう言うだけですよ。前に読んだときと違っているとか、そんなんいちいち覚えちゃいませんよ」
佐藤
「それにしても昔から、いくら作家の素質があるものでも、ずっと田舎にいたんじゃ大作家になれないとはよく言ったものだわ。そんな因習深い田舎の人間の思惑や感情ばかりを気にしてたんじゃ文学なんかできやしないじゃないですか。自分が書きたいと思ったことを遠慮なく書く、怒られても憎まれても気にせず書く、それこそ文学を志向する者の正しい姿勢ですよ」
池田
「友を切り家族を切り自分を切る、ということですね」
佐藤
「そうです。人に嫌われることを恐れていたんじゃ、作家になれませんよ」
池田
「先生、作品のために事実を脚色するというのは、エッセイではどこまで許されるのでしょうか。あまり何でも許容してしまうと小説と変わらなくなってしまいそうですし」
佐藤
「だからそれは一つ一つ違うんですよ。自分が書かなきゃならないことがまずあって、それを伝えるのに邪魔になるものを削除したり、わかりやすく直したりするのはいいんですよ。まるきり本当じゃない、架空の話が書きたかったらそれは小説なんです」
佐藤
「池田さん、本当にこんな基本的なことを……、私もなんでこんなことまで教えなきゃならないのか……。いいえ、あなたがわからないんなら聞いてきてもいいんです。今回のように手紙を書いて何でも聞いてきなさい。だけどね、ちょっとは自分の頭で考えろと、言いたくはなるわねえ……」
0コメント